なぜ、ちつケア・マラケアを始めたのか?
ちつケア・マラケアを始めたきっかけ(長文です)
ちつケアもマラケアも、なかなかマイナーな施術なので、なぜその施術をしようと思ったのですか?とよく聞かれます。
長文になりますが、私の経緯を記していきます。
もともと、女性ホルモンのバランスが悪く、生理周期はガタガタ。高校生の時に1年生理が止まってしまったこともありました。1回目の結婚がわりと早く22歳の時。早く子供を授かりたかったのですが、なかなか恵まれない。数年が経ち、一度体調確認をしてもらおうと25歳の頃久しぶりに婦人科で診察を受けたところ...無排卵性月経・多嚢胞性卵巣症候。妊娠を望むなら、自然妊娠は難しいから治療が必要と言われました。
そしてスタートした不妊治療。排卵を促進させる治療から始めましたが、薬では上手く排卵しないので注射に切り替え2~3クールやったのですが、でこれからずっとこれやるの?仕事との両立もできる気がしない。病院通いもスケジュール調整もしんど過ぎると、早々に辞めてしまいました。そこから徐々に妊娠を望まなくなり、パートナー(夫)との関係性や同居していた義父母との関わりの変化から、私が拒否する側でのセックスレスに突入。
1回目の結婚生活が12年だったのですが、7~8年間レス。全く性欲もわかなかったため、20代半ばにして私の人生にセックスはいらないとさえ思っていました。性欲が湧かないので、セルフプレジャーもなし。
1回目の結婚にピリオドを打ちましたが、しばらくしてご縁がありパートナーができました。バツイチ同士で色んなことを話せる関係でしたが、一番の気がかりはセックスのこと。8年以上セックスもセルフプレジャーもしていなかったので、本当にセックスできるんだろうか。かなり痛いのでは、パートナーを満足させてあげられるのか?自信がなく不安だらけでしたが、隠さず全部話そうと思い切って話したところ、私のペースで大丈夫、嫌だったり痛かったらすぐに止めるからと受け止めてくれました。
そのお陰で、超久しぶりのセックスは、痛みも怖さも全くなくなんとも言えない気持ちよさ、悦び、心も身体も満たされる幸せ。私の人生にセックスが戻ってきた!!と嬉しさでいっぱいでした。これからもっともっとセックスを楽しめる!!はずだったのですが...
1年少し経った頃からパートナーの性欲が急激に低下、セックスを望まなくなり今度は拒否される側のセックスレスに突入。せっかく私の人生にセックスが戻ってきたのに、なぜ?もしかして私では満足できない?女性としての魅力がない?自信を失う出来事でした。
程なくして、私は私で、あるお薬がきっかけ(だと思っている)で性欲が低下。そして、そのまま30代半ばで結婚。結婚前からセックスレス夫婦になりました。
※パートナーの性欲低下は、仕事のストレスからだったようです。セックスレスになって1年後、うつ病診断となり数ヶ月休職、その後は無事に回復しています。
お互いに性欲が湧かないのでバランスが取れて、何の問題も起こらずに数年経過したのですが...
40歳手前で、私はこのままでいいの?女性として終わっていいの?いや、終わりたくない!!と魂の叫び(?)を突然キャッチしてしまったのです。何年もしていなかったセルフプレジャーから再開しました。そしてふと、パートナーの性欲は戻っているのだろうか?セルフすらしていなかったら、それこそ身体が心配!これは確認しなければと、勇気を出してパートナーと2人の性について話す機会を持ちました。そこで予想していなかったパートナーの告白があったのです。「性欲はあまり戻っていない。セルフもするけどごくたまに。以前のようにセックスを楽しめたらいいとは思うけど、みちるは安心できる家族としての存在になっている。」と。
衝撃的な告白でしたが、パートナーからの言葉をかなり冷静に受け止められた私。「じゃあ私はどうしたい?」と自分に問いかけました。性は手放したくないと気付いてしまったから蓋はしたくない。気乗りのしないパートナーに無理やり迫ることもしたくない。…相手はパートナーとでなくても良いかも…
そこから本格的に自分自身の性・セクシュアリティに向き合い出しました。迷って迷って、意を決して女性用性感エステ(女性用風俗)に行き、そこからやっぱり私はまだまだ性を謳歌したいのだという欲を再確認しました。
気持ちが大きく揺れ動く中で、セクシャルカウンセラー右京みさほさんに出会います。初めはタロット鑑定をしてもらい、私の状態を全肯定していただいた時の何とも言えない安心感。その後何度かセッションを受け、ちょうどみさほさんが募集を開始された「セクシャルカウンセラー養成講座」に飛び込みました。
養成講座の大半は、自分と向き合うこと・親との関係に向き合うこと。私の両親は遠縁のお見合い結婚で、どちらも結婚を望んでいなかったけど、年齢・商売・本人同士よりも周りが結婚に向けてどんどん話を進めていったのだろうと思います。年子の妹が生まれた頃には、既に母の頭の中には離婚の文字があり、何年も悩んだ末に私が高校に上がるタイミングで離婚。私は母と一緒に家を出て、妹は父と一緒にいる選択をしました。母には仲の良い夫婦や家庭を娘(私と妹)に見せられなかったという罪悪感があり、それ故なのか性や結婚・パートナーシップに関しては、私には理解できない価値観を持っていて、私も母の価値観を受けて自分の枠をガチガチに固めていました。親から受け取った、自分自身を苦しめていた価値観や枠をどんどん取り払っていって、自分の欲に正直になっていきました。
私も同じように性に悩む方の気持ちが少しでも楽になるような活動をしたい!とセクシャルカウンセラーとして活動を2020年にスタートさせましたが、その活動中でお話を聴くだけではなく、女性のカラダやココロのお悩みを具体的にサポートできるような施術を習得したいと強く思うようになりました。そして、女性として生きていく土台となるのは、やっぱり″ちつ”でしょ!と、ちつをケアする施術を習える人を探しに探して、静岡の「月と樹」三樹菜緒子さんのちつほぐしセラピスト養成講座に行きつき師事して今に至ります。
セクシュアリティや自分の性に関する欲に正直になったことで、ガタガタだった生理がゆっくりですが調い出しました。自分をキレイに魅せること、服装・化粧など美意識が高まったのも40代。好奇心や行動力が加速。やってみないとわからない、とにかくやってみようと2021年2月に会社員生活にピリオドを打ち、カウンセラー・セラピストを本業に。
拒否する、拒否される両方のセックスレス経験
私の人生にはもうセックスはない、と思っていたところからの逆転さらに逆転
このまま女を終わらせたくないという魂の叫び
全て必要な経験だったんだなと思います。
また、女性の悩みを聞くからには男性のメンタル・身体・男女の性差についても学ばなけばと思い、その流れで男性にとっても性や男性機能に関する悩みは、なかなか人に話せない繊細なテーマであることを確信。マラケア(男性機能向上)の施術を習得しました。
現在パートナー(夫)とは、お互いにやりたいことを応援しあうライフパートナーとしての関係を深めています。
離婚される覚悟で伝えた、「お互いに満たし合えないこと(性だけに限らず)は、別にパートナーを作っても良いことにしないか」という私からの提案を了承してくれ、ちつケアはもちろん、男性への施術マラケアも自分が力を注いでできる仕事ならば応援する、というこれ以上ない私の最大の理解者でありサポーターとなってくれています。
長文になりますが、私の経緯を記していきます。
もともと、女性ホルモンのバランスが悪く、生理周期はガタガタ。高校生の時に1年生理が止まってしまったこともありました。1回目の結婚がわりと早く22歳の時。早く子供を授かりたかったのですが、なかなか恵まれない。数年が経ち、一度体調確認をしてもらおうと25歳の頃久しぶりに婦人科で診察を受けたところ...無排卵性月経・多嚢胞性卵巣症候。妊娠を望むなら、自然妊娠は難しいから治療が必要と言われました。
そしてスタートした不妊治療。排卵を促進させる治療から始めましたが、薬では上手く排卵しないので注射に切り替え2~3クールやったのですが、でこれからずっとこれやるの?仕事との両立もできる気がしない。病院通いもスケジュール調整もしんど過ぎると、早々に辞めてしまいました。そこから徐々に妊娠を望まなくなり、パートナー(夫)との関係性や同居していた義父母との関わりの変化から、私が拒否する側でのセックスレスに突入。
1回目の結婚生活が12年だったのですが、7~8年間レス。全く性欲もわかなかったため、20代半ばにして私の人生にセックスはいらないとさえ思っていました。性欲が湧かないので、セルフプレジャーもなし。
1回目の結婚にピリオドを打ちましたが、しばらくしてご縁がありパートナーができました。バツイチ同士で色んなことを話せる関係でしたが、一番の気がかりはセックスのこと。8年以上セックスもセルフプレジャーもしていなかったので、本当にセックスできるんだろうか。かなり痛いのでは、パートナーを満足させてあげられるのか?自信がなく不安だらけでしたが、隠さず全部話そうと思い切って話したところ、私のペースで大丈夫、嫌だったり痛かったらすぐに止めるからと受け止めてくれました。
そのお陰で、超久しぶりのセックスは、痛みも怖さも全くなくなんとも言えない気持ちよさ、悦び、心も身体も満たされる幸せ。私の人生にセックスが戻ってきた!!と嬉しさでいっぱいでした。これからもっともっとセックスを楽しめる!!はずだったのですが...
1年少し経った頃からパートナーの性欲が急激に低下、セックスを望まなくなり今度は拒否される側のセックスレスに突入。せっかく私の人生にセックスが戻ってきたのに、なぜ?もしかして私では満足できない?女性としての魅力がない?自信を失う出来事でした。
程なくして、私は私で、あるお薬がきっかけ(だと思っている)で性欲が低下。そして、そのまま30代半ばで結婚。結婚前からセックスレス夫婦になりました。
※パートナーの性欲低下は、仕事のストレスからだったようです。セックスレスになって1年後、うつ病診断となり数ヶ月休職、その後は無事に回復しています。
お互いに性欲が湧かないのでバランスが取れて、何の問題も起こらずに数年経過したのですが...
40歳手前で、私はこのままでいいの?女性として終わっていいの?いや、終わりたくない!!と魂の叫び(?)を突然キャッチしてしまったのです。何年もしていなかったセルフプレジャーから再開しました。そしてふと、パートナーの性欲は戻っているのだろうか?セルフすらしていなかったら、それこそ身体が心配!これは確認しなければと、勇気を出してパートナーと2人の性について話す機会を持ちました。そこで予想していなかったパートナーの告白があったのです。「性欲はあまり戻っていない。セルフもするけどごくたまに。以前のようにセックスを楽しめたらいいとは思うけど、みちるは安心できる家族としての存在になっている。」と。
衝撃的な告白でしたが、パートナーからの言葉をかなり冷静に受け止められた私。「じゃあ私はどうしたい?」と自分に問いかけました。性は手放したくないと気付いてしまったから蓋はしたくない。気乗りのしないパートナーに無理やり迫ることもしたくない。…相手はパートナーとでなくても良いかも…
そこから本格的に自分自身の性・セクシュアリティに向き合い出しました。迷って迷って、意を決して女性用性感エステ(女性用風俗)に行き、そこからやっぱり私はまだまだ性を謳歌したいのだという欲を再確認しました。
気持ちが大きく揺れ動く中で、セクシャルカウンセラー右京みさほさんに出会います。初めはタロット鑑定をしてもらい、私の状態を全肯定していただいた時の何とも言えない安心感。その後何度かセッションを受け、ちょうどみさほさんが募集を開始された「セクシャルカウンセラー養成講座」に飛び込みました。
養成講座の大半は、自分と向き合うこと・親との関係に向き合うこと。私の両親は遠縁のお見合い結婚で、どちらも結婚を望んでいなかったけど、年齢・商売・本人同士よりも周りが結婚に向けてどんどん話を進めていったのだろうと思います。年子の妹が生まれた頃には、既に母の頭の中には離婚の文字があり、何年も悩んだ末に私が高校に上がるタイミングで離婚。私は母と一緒に家を出て、妹は父と一緒にいる選択をしました。母には仲の良い夫婦や家庭を娘(私と妹)に見せられなかったという罪悪感があり、それ故なのか性や結婚・パートナーシップに関しては、私には理解できない価値観を持っていて、私も母の価値観を受けて自分の枠をガチガチに固めていました。親から受け取った、自分自身を苦しめていた価値観や枠をどんどん取り払っていって、自分の欲に正直になっていきました。
私も同じように性に悩む方の気持ちが少しでも楽になるような活動をしたい!とセクシャルカウンセラーとして活動を2020年にスタートさせましたが、その活動中でお話を聴くだけではなく、女性のカラダやココロのお悩みを具体的にサポートできるような施術を習得したいと強く思うようになりました。そして、女性として生きていく土台となるのは、やっぱり″ちつ”でしょ!と、ちつをケアする施術を習える人を探しに探して、静岡の「月と樹」三樹菜緒子さんのちつほぐしセラピスト養成講座に行きつき師事して今に至ります。
セクシュアリティや自分の性に関する欲に正直になったことで、ガタガタだった生理がゆっくりですが調い出しました。自分をキレイに魅せること、服装・化粧など美意識が高まったのも40代。好奇心や行動力が加速。やってみないとわからない、とにかくやってみようと2021年2月に会社員生活にピリオドを打ち、カウンセラー・セラピストを本業に。
拒否する、拒否される両方のセックスレス経験
私の人生にはもうセックスはない、と思っていたところからの逆転さらに逆転
このまま女を終わらせたくないという魂の叫び
全て必要な経験だったんだなと思います。
また、女性の悩みを聞くからには男性のメンタル・身体・男女の性差についても学ばなけばと思い、その流れで男性にとっても性や男性機能に関する悩みは、なかなか人に話せない繊細なテーマであることを確信。マラケア(男性機能向上)の施術を習得しました。
現在パートナー(夫)とは、お互いにやりたいことを応援しあうライフパートナーとしての関係を深めています。
離婚される覚悟で伝えた、「お互いに満たし合えないこと(性だけに限らず)は、別にパートナーを作っても良いことにしないか」という私からの提案を了承してくれ、ちつケアはもちろん、男性への施術マラケアも自分が力を注いでできる仕事ならば応援する、というこれ以上ない私の最大の理解者でありサポーターとなってくれています。